2024年1月5日更新

上の図は東京証券取引所の時価総額合計(全市場、青線、「Total capitalization」)と名目GDP(赤線、「Nominal GDP」)を重ねてグラフにしたものです。バフェット指数が示唆するように、東証時価総額合計は名目GDPを基準にして上下に変動していており、長期的には両者とも同じように上昇してきています。東証時価総額合計は名目GDPと比べると上下動がはるかに大きいことが分ります。

戦後昭和の日本経済

1960年代始めは東証時価総額合計が名目GDPを上回っていましたが、1964年の東京オリンピックの終了とともに公共投資が減少し東証時価総額合計も低下しました。1970年代始めに田中角栄首相が『日本列島改造』政策を開始し公共投資が増加すると再び東証時価総額が上昇し名目GDPを上回りました。これも1973年の第一次石油危機を契機に東証時価総額は低下しました。1980年代に入ると輸出、特に対米輸出、をてこに東証時価総額は上昇を始め、1985年のプラザ合意に伴う円高対策としての金融緩和政策もあり1990年まで東証時価総額は上昇し史上最高を記録しました。この間、1986年にはサウジアラビアがOPECの生産調整へのコミットを終了し原油価格が低下したことも加わり、日本経済はバブル経済に湧きました。

平成令和の日本経済

1990年代に入ると金融引締政策の効果が現れて東証時価総額は低下し名目GDPを下回る水準で推移しました。2000年頃と2007年頃をピークにしたアメリカのITバブルと住宅バブルに同期して東証時価総額もピークを示しました。2008年のリーマン・ショックを契機に東証時価総額は大きく名目GDPを下回りました。リーマン・ショック後の東証時価総額の低迷は2012年に民主党から自民党へ政権が交代し、安倍首相がアベノミクスを開始するまで続きました。その後は東証時価総額は上昇を続け名目GDPとの乖離は過去最高レベルに達しています。

過去の経験から言うと、東証時価総額が更に上昇するのは難しく見えます。然るべき時点で東証時価総額は現在の三分の一程度まで低下する可能性もあります。日経平均株価に換算すると現在の約3万円から1万円程度まで低下することになります。